じぃさんの頭の中

普段考えていること、読んだ本、見た映画等。私を創るものを垂れ流し

窓ぎわのトットちゃん 新組版(黒柳徹子)

 

窓ぎわのトットちゃん (講談社青い鳥文庫)

窓ぎわのトットちゃん (講談社青い鳥文庫)

 

 読んだ本は違うんですがこれしか見当たらなかったもので・・・

 

 

小学1年生でとある学校を退学になったトットちゃんこと黒柳徹子さんはトモエ学園という一風変わった学校に再入学することになった。トモエ学園での活き活きとした生活を描いた私小説

あまりにも有名な本過ぎて逆に読む機会を逸していたのだが、ようやくそのチャンスにありつけた。現代で言えば発達障害ADHDなどど診断されるのであろうが、当時はただの迷惑ものという認識しかなかったのであろう。しかし、トモエ学園の校長先生は違った。そういった概念がなかった時代であっただろうに(勉強不足で勝手な推測ですが)しっかりと生徒一人一人と向き合い、個別に必要な教育的ニーズを把握し、指導する。現代さかんに騒がれている教育相談や特別支援教育を戦前から実践していたのである。さらに付け加えればトモエ学園にはトットちゃんのような発達障害の児童や小児性麻痺の児童、身体的障害を抱えた児童、特に障害のない児童(ここは曖昧だが)が全員一緒のクラスで勉強をし、お互いがお互いを尊重しあい助け合う学園が実現しているではないか。これこそまさに盛んに議論されている「インクルーシブ教育システム」そのものではないだろうか。人間の多様性を尊重し、障害のある者がその能力を最大限に発揮し、自立し自由な社会の中で積極的に活躍できる共生社会の実現を目標に障害のある者とない者が共に学ぶ仕組みの構築がインクルーシブ教育システムである。驚くべきことに戦前にすでに実現された例があったのだ。トモエ学園の校長小林宗作先生は本当に素晴らしい。子供のことを深く理解し、その子の未来を明るく照らしだす指導を実践していたのだ。彼は2015年現在も到達しえてないところまで到達していた。

理想の教育とはなんなのだろうか。詰め込み型教育やゆとり教育は結果として理想とは言いがたかった。これからは豊かな人間性を持ち、学習意欲が旺盛で、自ら課題を見つけ工夫し解決する力、一般に言われるところの「生きる力」の育成が重要であると言われている。しかし、本来子供はそういったものである。小学校1年生の段階では9割の子供が勉強が好きと答えるが小学校6年生では4割に落ち込むという。いわゆる講義型の授業では受け身になるばかりであり勉強の楽しさ、未知の知識を知ることの楽しさを得ることはできない。トモエ学園では課題は決められるがそれは自分の裁量でその日のうちいつでもやっていいことになっている、また時には学校を飛びだし散歩をし理科や様々なことを実践的に学んでいるのだ。これは我々大人が改革していかなくてはならない最大のポイントである。

さらに学校(教員)、保護者(家庭)、地域の連携を通して幅広い包括的な教育が求められているのではないだろうか。子供の教育は他人事ではない。我々が年老いた時に日本を支えているのは今の子供達である。

 

今では発達障害ADHD)の説明ではドラえもんのび太ジャイアンと並んで黒柳徹子さんが説明されるほど知名度が高くなっています。

戦前に教育者として活躍していた小林宗作先生を教育者として素直に尊敬します。ここ最近でようやく騒がれ出された特別支援教育(障害のある子たちに対するものだけではありません)の一人ひとりにあった支援をすでに実践されていたことは考えられません。

戦争がこのような素晴らしい学園を奪い去ったという事実にも胸が苦しくなります。今、教育界は大きな過渡期にあります。小学校中学校に比べて遅々として進まない高等学校教育が、大学入試の変更という大鉈を振るうことでようやく動き出し始めたのです。

教育界だけではありません。我々のような一般の社会の中で発達障害を含む様々な困難を持っている方々への支援を考えなくてはいけません。精神的な病を抱えている方々も増えています。小林先生のように一人ひとりのことを考え抜いた対応をしていくときなのだと思います。